2018年5月18日金曜日

vol.1637 『ペテロの第二の手紙』(自己解説)

 ブログ「東海・旅の足跡」をお読みいただき、ありがとうございます。

 第一章
 一 イエス・キリストの僕また使途であるシメオン・ペテロから、わたしたちの神と救主イエス・キリストとの義によって、わたしたちと同じ尊い信仰を授かった人々へ。
 二  神とわたしたちの主イエスとを知ることによって、恵みと平安とが、あなたがたに豊かに加わるように。
 第二章
 一三 彼らは、真昼でさえ酒食を楽しみ、あなたがたと宴会に同席して、だましごとにふけっている。彼らは、しみであり、きずである。
 第三章
 八 愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。
 一四 愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。
 

 人は誰しも皆、いや、僕に限って言えば、他人から顔のことを指摘されると、とても辛い。
 『ペテロの第二の手紙』に目を通したとき、とりわけ第三章が印象に残った。それと同時に「しみ」「きず」という単語にも。
 僕と直接会ったことのある人は、今更説明する必要もないことだが、僕の顔には子どもの頃のケガが原因の傷跡(へこみ)が右頬にある。さらに左頬にも傷跡と大きなホクロがあり、顔全体(目の周囲、鼻、頬)にシミとソバカスがたくさんあるのだ。

 以下は余談。
 今日の午後は長谷川公茂先生とお会いして、打ち合わせの後、楽しい円空談義で、幸せな時間を過ごしました。
 下の写真は先生と一緒に食べたアイスクリームです。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿