2018年4月19日木曜日

vol.1611 『ヨハネによる福音書』第四章(自己解説)

 ブログ「東海・旅の足跡」をお読みいただき、ありがとうございます。

 前回の更新(vol.1610)からの続きで、『ヨハネによる福音書』第四章にて、僕が深く感じた(感銘を受けた)のは、サマリアの女に対するイエスの言葉である。

 六 そこにヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れを覚えて、そのまま、この井戸のそばにすわっておられた。時は昼の十二時ごろであった。
 七 ひとりのサマリヤの女が水をくみにきたので、イエスはこの女に、「水を飲ませて下さい」と言われた。

 僕が思うに大事なことは、イエスから話しかけた(そして、会話が続いて行く)ということ。

 一三 イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。
 一四  しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。

 イエスが語る一つひとつの言葉の中に深い意味があるのはもちろんのことですが、それを自分自身に置き換えると、さらにとても奥深く感じます。

 二五 女はイエスに言った、「わたしは、キリストと呼ばれるメシヤがこられることを知っています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知らせて下さるでしょう」。
 二六 イエスは女に言われた、「あなたと話をしているこのわたしが、それである」。

 僕の人生にも、そうした出会いがあった。それが何よりの喜びだ。だから、イエスの言葉に心を打たれるのかもしれない。
 『ヨハネによる福音書』第五章以降(の自己解説)は別の機会に。

 以下は余談。
 長年、目を通している『パブリッシャーズ・ビュー』の今号には、下の写真にあるように「継続送付のご希望」に関するお知らせが同封されていた。
 

 出版不況で書籍の売上が苦しく、経費節減の一環だろうと想像して、葉書を送るのを止めることにした。少しでもお役に立てば、と思う。

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