2018年1月12日金曜日

vol.1564 見える景色、見えない景色

 ブログ「東海・旅の足跡」をお読みいただき、ありがとうございます。

 バイクで走っているのと車で走っているのとでは、見える景色が違うと言ったら、簡単には信じてもらえないかもしれない。少し補足すると、いろんな次元で、見える景色が違う。単に目の前に映る景色から、どこまで景色が見えるかという高い次元まで、同じ道を走っていても、車の運転とバイクの運転では、まったく違っている。
 具体的なことを書いて、説明するのが最も分かりやすいから、ライダーとドライバーの両方の視点で、以下に。
 ライダーはヘルメットを被っているから視野が狭いというのは作り話だ。むしろ、ドライバーよりも、ずっと景色が見えている。カーブの先の見えない景色まで見て(想像して)走っている。もっと正確に表現すれば、何もかも見えているのだ。でなれけば、事故にあって、下手をすれば、命を失ってしまうから。
 道路を走っているのは、車やバイクだけでなく、バスやトラックと、いろいろあるけれど、どれも運転しているのは人間だ。「当たり前だろ、そんなことは」と思われるかもしれない。が、バイクで道路を走っている際に、僕が相手にしているのは、車やバス、トラックという乗り物ではなく、それを運転している人間だ(ということを常に意識せざるを得ない)。ドライバーに注意して走れば、アクシデントの大抵は防げる。仮に事故で、ぶつかって来る物体は乗り物だが、ぶつけて来る実体は人間だ。だから、僕はいつもバイクで走っている際に、車だけでなく、ドライバーまで注視している。
 ここで、ひとつ面白いことが起こる。車のドライバーには見えていないけれど、ライダーからはドライバーが丸見えだということ。もちろん、ドライバーからだって、バイクにまたがっているライダーの全身が見える。ただし、その瞬間、それと正反対のことが起こっているとは知らずに。
 こちら(ライダー)からは、ドライバーが運転中に化粧をしたり、口を開けて、会話や歌らしきものを歌っていたりと、そうしたことは、しっかり目に見えている。それ以上にドライバーの表情や視線まで見えているのだ。少し大げさに書けば、何を考えているのかも。顔を曇らせていたり、視線の先が別の方向を向いて、気を取られていたりと、見られていないと思っている(油断している)人間の表情や仕種を否応なく観察させられて、それはそれで愉快な気分になったりする。これも僕にとっては、バイクで走る楽しみの一つだ。
 今こうして書いたことが信じられない、嘘だと疑うドライバーがいるならば、ヘルメットを被っているライダーをじっと見つめたらいい。きっと視線が合うはずだから。

 以下は余談。
 連日、午前4時起床の、仮眠続きで、眠くはならないけれど、睡眠不足により、上記の文章内の「てにをは」や言葉選びが間違っていないかと、推敲するために再読してみた。が、話の出だしからして、拙い文章だと気付いて、もう書き直す気力も湧かず、そのままにした。僕の言いたかったことは、いつもブログに目を通してくださっている賢明な読者には、きっと伝わっただろうから。

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