2018年1月8日月曜日

vol.1561 青空のベンチに腰掛けて

 ブログ「東海・旅の足跡」をお読みいただき、ありがとうございます。

 冬の朝、青空にぽっかりと白い雲が浮かんでいた。人気のない公園のベンチに腰掛けて、しばらく空を見上げていたら、雲が形を変えながら、流されて行った。
 時計の針を目にしても、ただ進むだけで、その瞬間を肌で感じることはできない。時間の流れは一定のはずなのに、驚くほど速かったり、恐ろしいほど遅かったりと、まるで魔術のようだ。
 どんなに見事な手品も種があって、それを知ってしまえば、つまらなくなるから、僕は知りたいとは思わない。けれど、時間の魔術にも、手品のような種があるのならば、それを知りたい。
 急いでいるわけじゃない。ゆっくりしたいわけでもない。時間を巻き戻したいとも思わない。ただ、落ち着いて、考える時間が欲しかっただけだ。さすれば、きっと後悔は少なかっただろう。
 昨夜、混雑した地下鉄の階段を歩いていたら、いきなり背中を突き飛ばされて、危うく転びそうになるといったことがあったけれど、今を生きていれば、そうしたことが珍しくない世界だ。
 世の中を眺めれば、金、コネ、暴力、コンピューター、汚れた政治、法律の解釈次第といったことがまかり通ってしまい、僕が大事に思っている言葉と信仰はまったく見向きもされない。
 楽しければそれでいい。なるほどそうかもしれない。苦労はしないに越したことはない(僕もそう思う)。本当に辛いことからは逃げればいい(子どものいじめなど)。悲しい出来事は忘れたらいい。
 そんなふうに生きられたなら、どんなに明るくて、楽だろう。だけど、僕にはできない。悔しいけれど。情けないけれど。どうしてもできない。苦しんだり、悲しんだりするのが人生で、そうして僕は終わって行くのかもしれない。きっと僕は後悔するに違いない。それも分かっている。
 僕にしかできないことが本当にあるとしたら、それが何かだけは、もう分かっている。簡単なことだ。自分らしく生きることだ。そして、死んで行くことだ。だから、これは僕からの少し早いお別れの言葉だ。

 以下は余談。
 公園のベンチに腰掛けて、風に流されて行った雲を見届けた後、立ち上がろうとしたら、ベンチの手すりを伝うように動いている一匹のテントウムシがいた。僕の目の前にも小さな命があった。

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