2011年11月8日火曜日

vol.481 ドストエフスキー著・原卓也訳『カラマーゾフの兄弟(下)』(新潮文庫)を再読して

 ツーリング・レポート「東海・旅の足跡」をお読みいただき、ありがとうございます。

 ずいぶん時間が空いたことから、書いた本人も忘れかけていた、というのが、正直なところかもしれない。しかし、そうはならないところが、『カラマーゾフの兄弟』の凄いところで、ふとした瞬間に思い出すのだ。「カラマーゾフ万歳」と。
 下編のストーリーはイワンの悪夢を経て、ミーチャの公判後、感動のエピローグへと突入する。
 これまでにも書いてきたように(vol.402、vol.408)、カラマーゾフとは、いかなる困難にも立ち向かう「生きる力」を意味する言葉でもある。事実、主人公アリョーシャと少年たちの人生は、今まさに物語の結末から、真に始まろうとしている。

 「このイリューシャの石のそばで、僕たちは第一にイリューシャを、第二にお互いにみんなのことを、決して忘れないと約束しようじゃありませんか。これからの人生で僕たちの身に何が起ころうと、たとえ今後二十年も会えなかろうと、僕たちはやはり、一人のかわいそうな少年を葬ったことを、おぼえていましょう。」
 「いいですか、これからの人生にとって、何かすばらしい思い出、それも特に子供のころ、親の家にいるころに作られたすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健康で、ためになるものは何一つないのです。」
 「ああ、子供たち、ああ、愛すべき親友たち、人生を恐れてはいけません。何かしら正しい良いことをすれば、人生は実に素晴らしいのです。」

 まだまだ他にも引用すべき箇所がたくさんあるのだが、未読の読者のために、もう記さない。その代わりに、全編を通じて、僕が最も好きな箇所を最後に挙げておくことにする。未熟過ぎる僕の解説にお付き合いいただき、ありがとうございました。

 「イリューシェチカの言いつけでしてね。イリューシェチカの」彼はすぐにアリョーシャに説明した。「夜中にあの子が寝ているわきに、わたしが坐っていましたら、だしぬけにこう申したんですよ。『パパ、僕のお墓に土をかけるとき、雀たちが飛んでくるように、お墓の上にパンの耳を撒いてやってね。雀がとんでくるのがきこえれば、お墓の中に一人で寝ているんじゃないことがわかって、僕、楽しいもの』って」

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