2010年6月14日月曜日

vol.256 白洲正子の「私の百人一首」を読んで

 ツーリング・レポート「東海・旅の足跡」をお読みいただき、ありがとうございます。

 僕は雨の月曜日が好きだ。朝、目が覚めて、雨の降る音を聞くともなく、聞いていたいと思う。
 昨日、梅雨入りして、しばらくの間、ジメジメとした気候が続くのだろう。ノドが弱い僕にとって、梅雨の湿気は大変ありがたい。
 今日は夕方、雨降りの合間を見計らって、少しばかりの庭木の剪定と雨樋の掃除を行いました。

 『白洲正子全集 第7巻』に収録された「私の百人一首」を読みました。
 小倉百人一首といえば、肝心な和歌の世界よりも、子どもの頃にカルタや坊主めくりに興じたことが思い出深い。学生時代、選者の定家という人物が好きではなかったことを覚えている。また、大学教授の恩師と一緒に能因塚(能因法師の墓)を訪ねたこともあった。今年の春、甥っ子がひらがなを読めるようになったので、20年ぶりに坊主めくりをした。そんなわけで、僕はこれまで百人一首には、特に興味が湧かなかった。
 だが、今回、白洲正子が独自の感性で、百人一首の詠み人たちの人物像を深く掘り下げることによって、和歌を通じた日本文化に改めて眼の開かれる思いがした。鎌倉時代から続く長い歴史の中で、小倉百人一首が人々に愛され続けてきた理由が、少しだけ分かったような気がした。

  嵐ふく三室の山のもみぢ葉は 竜田の川の錦なりけり  能因法師

 「東海・旅の足跡」は東海地区で発売されている月刊誌『バイクガイド』に連載中のツーリング・レポートです。ご一読いただき、ご感想をお寄せいただければ幸いです。

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